今日は広島に原爆が投下された日です。
先月、エノラ・ゲイの搭乗員だったセオドア・バンカーク氏が亡くなったというニュースが流れました。これによって、実戦で核兵器に直接関わった人は全て亡くなったことになります。
我が家では原爆が投下された時間に黙祷することを恒例にしています。それは犠牲となった多くの御霊を弔うと共に、その後、70年近くもこうして日本が平和だったことへの感謝の気持ちからです。

広島と長崎の原爆投下によって多くの人々が亡くなっただけでなく、放射性物質の後遺症で長く苦しんだ人がいます。私はこの原爆投下が、どうしても戦争を早期終結させるために必要だったとは思えないでいます。
しかし、このことによって皮肉にもその後世界大戦規模の戦争は起きず、私たちは平和なだけでなくかつてないほどの繁栄をしているのだと知っておいて欲しいのです。原爆投下された私たちの国が、核兵器の想像を絶する破壊力と副産物を世界に知らしめ、そして使うことを躊躇わせたのですから。
でも核兵器廃絶=平和ではありません。それは直接な関係もないし、なくなれば逆に戦争は起きやすくなるでしょう。

あまりに圧倒的な兵器の登場によって、勝った負けた以前に地球そのものが滅びてしまうほどの核兵器は、結局使えなくなってしまったのです。
では使えない兵器は持っていても持っていなくても同じでしょうか?
そんなことはありませんよね。お互いが持っているから使えなくなり、より戦争に慎重になったのですから。これが「核の抑止力」です。

昨年、次男が平和作文を書かなくてはならなくなり、子ども達と議論しました。とても感心したのは、我が子達がこうしたことをしっかりと理解していたことでした。核兵器がなくなれば戦争はもっと起きやすいものになる、という理解をしていました。それは彼等が「人は問題の解決ができないとき、最終手段として暴力に訴えるのだ」ということを明快に理解しているからです。

事実、核のない世界は100年前の世界です。この頃の歴史を見ればわかるように、列強諸国が関わる戦が世界のあらゆる所で起きていました。戦争が起きる原因は通常兵器の軍事バランスよって起きていましたから、核兵器はそのバランスを根底から崩壊させてしまったのです。

実際に核兵器の恐ろしさを身を以って知っているのは我が国だけです。その悲惨さを世界に発信し続け、大きな災いを起こさないようにするのが我が国の使命と思えます。
しかし、こうして使った当事者も使われた当事者も高齢のため亡くなり、その悲惨さを伝える人々は年々少なくなっています。だからこそ、こうした原爆や終戦記念日に半世紀以上前に起きた大きな戦争のことを考えてみても良いのではないでしょうか。

昨日は人権について考え、今日は核兵器について考えるIKEAがお送りいたしました。


** イベント参加予定 **


【第37回クリエイターズドーム(CREDO)】
日時:8月23日(土) 11:00~16:00
場所:ガレリア竹町ドーム広場