お盆休みエンジョイしてるぜー!
と、言いたいのは山々なのですが地味に仕事しています。いや普通に仕事してしまってます。
ちょっと急ぎのオーダーが入りましたので、今後が長雨の可能性も考えて作業することにしたのです。いつも言っていることですが仕事があるのが花。それこそ、こういう仕事は発注が貰えなくなったらおしまい。ですから有難く仕事させていただきます。

さて今日は終戦の日。
69年前、日本は一面焼け野原から再出発をしたのでした。それから半世紀以上経って、あの戦争は何だったのか、いやそれどころか、かつてはるか南の地で日本とアメリカが戦っていたことすら知らない人も多くなりました。
兎角、靖国への参拝となると、広島や長崎と違って直接戦闘に参加して亡くなった人が祀られているためか、メディアの扱いにもアレルギみたい(特に朝日、毎日)なものを感じます。

私、この歳になって思うんですよ。
若い頃、自分が信じたものって「本当に正しかった」のかと。この先も間違わずに生きていけるかと言われると。そうだと言い切る自信はありません。でも「今はそれが正しいのではないか」と思って生きているんだと思うのです。
69年前、日本を指導した人々も「今を信じて」戦った人々もいたでしょう。戦争に望む望まざるに関係なく私たちの祖先は戦争に巻き込まれていくのですが、果たしてその時にそれが「間違いだ」と分かっていたのでしょうか。きっと日本人の尊厳を守ろうと決意して戦ったのだと当時の国際情勢を知れば思うのです。
もしあなたが家族に危険が及ぼうとしているとき「戦うこと」は恥なのか。あるいは「反省」だけで終わらせるものなのだろうか。それが大きくなれば国家を守ることと同じではないでしょうか。

私たちの先達が間違いだらけだった、とされることには心情的にも無念だし、310万人もの犠牲を払ったあの戦争は全て無なら、何故戦わなければならなかったのか。どうにも全否定されることに我慢がなりません。
いや、その批判を同じ日本人の口から聞かされるのは屈辱的です。それって私たちの歴史を拒否してるんじゃないかと思うんですよ。歴史って時間の連続体だからです。仮に間違いだとしても全てじゃないことはこの世の中溢れているのですが、日中戦争から太平洋戦争までの一連の流れだけ全て間違いなのか疑問です。間違いに突入していくからにはその理由もあった筈ですが、そこには多くのスポットが当てられないのはオカシイのではないかと思います。

私は左でも右でもありませんが、あの大戦は大きく俯瞰して見ると本当に避けられたか疑問に思うようになりました。恐らく、当時の人々も迷ったり悩んだりしながら最良の方法を模索していたに違いないのに戦争に突入したのですから。

敗戦によって私たちが得られたものは「戦争は割に合わないものだ」ということを国民レベルで痛いほど知ったことが成果だったのかも知れません。逆に言うと、開国以来この国が戦に負けなかったことが、あるいは大国と対等に戦い勝ったことが思考停止を生んだのかも知れません。
完膚なきほど負けた先の大戦は、その後の長い平和を築く原因になったと思います。だから平和主義を信条とするこの国は素晴らしいと思います。
ですが、戦わずして負けることは美しいとは思いません。
だって私たちは今も実弾こそ使いませんが、こうして生きるために必死でもがいているからです。