今日は子どもの準備登校で一緒に学校へ行ってきました。いまの時期は何かと学校行事も多く、書かなきゃならない書類も多くなります。
でも学校というところは何だか今でも大きな圧迫感を感じる空間です。約半日程度でも気が付くと疲れているんですよね。それに生活指導のことなんかも説明がありましたが、高専がスタンダードになっている我が家からすると「随分と違うな」という印象でした。

さて、時間を見つけては読んでいる本があります。岩波新書の「ジェンダーと教育」という本です。
実は息子が借りた本なんですが、私も興味があってリビングに置いてくれているので読めるときに読んでいます。




その中に、ある幼稚園での話が登場します。
T(先生)「それから今日はね、みんなね、がんばってお弁当食べようね。お母さんが作ってくれたおにぎりとか、ウィンナーとか、タマゴとか、くだものとか、みんな食べられたらね、先生、きょうは男の子には、がんばって食べられたらね、青いシール貼ったげる」
(よくしゃべる女の子が話をやめないでいる)
T「はい、よくわかりました。女の子はね、ピンクのごほうびのシール、あげるしね」

本来ならば、ここで注目しなければならないのは「男の子に青のシール」「女の子にピンクのシール」という部分であることは疑う余地はありません。このエピソードが引用された理由は、無意識な「男性は青、女性はピンク」というアイコンを知らず知らずのうちに、こうした教育の現場で使われて男性観や女性観が形成されるのだ、という一例だからです。
しかし、私が注目したのは「お母さんが作ってくれたおにぎり」です。
我が家でお弁当はもちろん、お弁当箱も父親が作っているのですから、もし、これを我が子が聞いたらどう思うのだろうと考えたのです。ここにもうひとつの刷り込み、すなわち「家事は女性の仕事」という無意識に刷り込まれたステレオタイプが存在するように思われたのです。

両親が離婚したというだけでなく、母親の病死や事故などによって必ずしも食事を母親が作っているとは限らないと思われます。それがたとえ少数であったとしても、弁当は「母親」が作るものだと決めつけるのは少し配慮が足らないように感じます。
もしこの場合、そうしたことも視野に入れて発言するなら「お家の人が」とするのが正解のようなきがするのです。

以前にも、イベントで持参の弁当を作っているのが私だと聞いた周囲の人から驚かれたことがあります。その驚きの根底にあるのは家事=女性の仕事という無条件にある無意識の女性観があるからだと言えるのでしょう。
まぁ、我が家の場合、お弁当だけじゃなくて弁当箱まで父手作りという点では、完全に常識破りなわけですが。


本日は「四川風麻婆豆腐」です。
もう我が家の定番、と言って良いほど作っています。当初から我が家の辛さは尋常じゃないのですが、花椒を効かせると、唐辛子とは違った痺れるような辛さがあって、かなり辛く感じます。この辛さが四川料理の特徴でもあるんですが、逆に慣れてしまうと花椒なしでは物足らなくなってしまうんですよね。