昨日の「マイルール」ですが、いろいろ考えさせられることだと思います。
世の中、それはそれはたくさんの人がいて、その数だけ考え方があって、どの辺りから許されて許されないか、それはハッキリした境界があるわけでなく、どうかすればその許容度だって大幅に違うこともあります。
でも、やっぱり人道的にどうよ、とか人格を疑われるようなことは宜しくありませんです。
昨日の話、結局のところネットの仕組みとリアルな人間関係が全く同じなわけではないのですよね。それをメッセージもなく友達申請はけしからんの前に、友達稼ぎで申請している人に虫唾が走る、と私は読んで思った次第です。私なら「そういう人だ」とわかったら無視するだけですし、そういう人もいるでしょう、この世の中は。スマホからなら気が付かないうちにタップしちゃうことだってあるでしょうしね。
一番気になったのは、肝心なその根底の部分。
ある程度、人気が出てきたと思い天狗になっているとしたら、これは大問題なのではないかと思うんですよね。

昨日のことなんですけど、外で切り出しの続きをやろうと段取りをしてたんですよ。
そしたらお隣のご主人が草取りをしていて「そら何を作りよんの」と訊ねられたんです。そこで、実はこれこれで什器を作っているんだと話しました。そうしたら「それは良いこっちゃ。若い人が頑張りよんは良いで」というわけです。
その方は私の両親より少し年上で、世間的に言えばお爺さん。でも毎日、畑仕事を朝早くから、夜はどうかすると日暮れになってもやっています。その姿によく感心していたのです。それでそのことを言うと
「こうして元気に働けるのはありがたいでな、感謝しとるんや」と返されました。

つまり「若いときから鍛えていた」とか「慣れているから」とか「食事に気をつけている」というような期待した答えを裏切り、そういう体に生まれたことを感謝しているというんですね。
考えてみれば、私もこうして今忙しくしていられるのは仕事を発注してくれるお客様あってのこと。
よくも、どこの馬の骨ともわからない大分の木工屋に什器や家具を発注してくれるものだ、と思ったら感謝せずにいられるでしょうか。

つまり、ちょっと人気が出たからとか顔が知られたからくらいで良い気になってはいけないってことです。
これからも謙虚で感謝の気持ちを忘れずにボチボチやりますかな。

今日は「茄子の味噌鴫」と「レタスのかき玉スープ」です。
「鴫」は「シギ」と読むんですが、鳥の字があるんで、そう鳥の仲間です。最近は田んぼが少なくなったんで知らない人もいるかも知れないですね。
茄子の味噌煮というとわかりやすいんですが、鴫焼きというのはそれとはちょっと違っていて水をいれないかほとんど入れずに作ります。その点が味噌煮と違うんです。昔はシギを食べていたらしく、茄子をくり抜いて、そこにシギの肉を詰めて焼いた料理だったようです。それが江戸時代になるとシギの肉は消え、焼いた茄子に味噌を塗るようになったんだそうです。それがナマグサが禁忌の僧侶に受け入れられ精進料理として変化し現在の鴫焼きになったようです。さすがにミンチを入れましたけど、我が家って意外と精進料理がルーツのメニューが多いような気がします。