90年代、一般人でありながらテレビのワイドショーや週刊誌を大いに賑わせてネタを提供したご夫婦がいます。佐藤夫妻です。

ことの起こりは、子どもの出生届に「悪魔」と書いて提出したところ法務局から不適切を理由に差し戻され、これを東京家裁に不服申し立てを行ったものだから騒動となったもの。一旦は事実上勝訴になったものの、市側がすぐに東京高裁に抗告して全面的に争うことになりました。
父親は「あくま」を「阿久魔」など他の漢字に置き換えて提出しますが、これも不受理。結局、似たような音の「亜駆(あく)」で提出してこれが受理されたため、抗告を取り下げて騒動が治まります。

この騒動の2年後に離婚して父親の佐藤重治に引き取られ養育されるも、同年に覚醒剤で検挙され、児童施設で育てられたそうです。現在は成人に達しているはずですが。
ところが再びこの騒動が人々の記憶から呼び覚まされた事件が昨年、東京日野市で起きます。飲食店を狙った連続強盗事件です。この犯人として佐藤重治が逮捕されたのでした。

この一連の騒動ですが、その中心に「権利」が据えられていたことは疑いようがありません。もちろん表面的には悪魔という名付けの「道徳的」な部分が取り上げられたように思われているのですが、核心は「権利」です。この佐藤夫妻の場合、マスコミの取材に度々キレていたのですが、その根底には「親がどんな名前をつけても自由だろうガー」とか「行政が市民の自由を制限するのはおかしいだろうガー」があったと思われます。市側は「子どもの福祉を害する」として受理しなかったんですが、この夫妻の訴えは、子どものことより自分たちの権利が大事なだけのように受取れました。
発想は極めて幼稚で、それは欲しいものが買ってもらえなかったときに床でジタバタする子どもの発想そのままです。これでは子どもは自分たちの主張のための「道具」ではありませんか。

よく何かにつけ「権利」を連呼する人が見受けられますが、権利は無限に認められているのではありません。その権利の裏側には「義務」があり、そして社会の秩序を守ることが前提にあってこその権利なのです。表現の自由だって、きちんとした論理と裏付けを基に発言しなければなりませんよね。特にネット上の発言は公言と同じです。特に公共上の問題について発言するときは「主観」と「客観」をわけて言わないととんでもないウソを流したり世間を混乱させます←ココは断言しておきます

悪魔という名前が「親権の乱用」であろうと思います。加えて近年のキラキラネーム(別名DQNネーム)は、子どもの幸せより親を自己満足させるための道具として受け取っています。その意味に如何に親の「喜び」「希望」「願い」が込められていたとしても、まともに読めなかったり社会で生き難い名前をつけるのは、将来に無用の苦痛を味あわせる原因になるのではないでしょうか。逆に「かわいいから」「かっこいいから」とあまりに考えなく響きだけで決めて強引な当て字にするのも、本当にその子の将来を考えているのかと思います。

美しい桜と書いて「みおん」は読めません。「みおう」が普通ですし、がんばって「みお?」と思うくらいです。「和奏」も「わかな」と読めそうな気がするのは最近の傾向を考えてのことで、通常は「わそう」ですよね。しかも一発変換もできない名前です。
「虎王」で「れお」とか悲し過ぎます。それライオンですよ。意味が違うなんて名前を付けられた子どもは可哀そうです。「海」なのに「河」とか「光」なのに「星」とか無茶苦茶ですし、読み方を聞いてもどうしてそう読めるのかわからない名前もどうでしょうね。

親の「思い」を名前に託して「世界でひとつの名前を付けたい気持ちは皆さん同じだとは(いや同じじゃないかな)思うのですが、その思いが重い十字架にならないよう気を付けたいものです。

因みに私の場合、3人の子どもの名前は普通な読みにしました。複数の読み方があってどう読んで良いのかわからない漢字の組み合わせは避けたつもりでした。しかし長男はよく誤字され(比較的日常で使用されない漢字)それを改めて長女に付けましたが、これも強引に別の読み方をする人がいました。これはどちらかというとキラキラネームが多くなった弊害でしょう。それで次男はそれ以外どう読むの?というような名前にしました。もちろんそれぞれに子どもへの願いを込めて付けました。

とても重要なことは、子どもは親とは別の人格なのだ、ということです。いくら親の願いがあろうとも、どんな感動や大変さがあろうとも、それは子どもには関係ないことなんですよ。ともするとその気持ちが「エゴ」になっていることを自覚するべきだと思います。名前は社会で生きていくために必要な「社会性」の第一歩であるのにもかかわらず「個性的」や「唯一性」に拘るあまりに非常識な名前を付ける行為は、教養よりむしろその人々の「反社会性」を表しているように思えます。
その道具に使われる子どもは…もちろん不幸ですよね。

子どもに親は選べないんだから。


本日は「チキンのトマトソース」
言うまでもなく我が家の定番料理。たっぷりのソースだったのでパスタと抱き合わせにして作りました。手もたっぷり抜いてはいますが、大事なところは決めてますから手抜きには思わせません。