カウンターとは数字を数えるもの、ではありません。
逆襲や反撃です。
私たちが本格的に社会に対して自分たちの思うところを、表に表すようになったのは3.11の原発事故以降です。
ブロゴスのモーリー・ロバートソン氏のコラムは、簡潔にそれから5年経った今までの左派運動をまとめています。
震災直後にデマが流れ始め、ネット上ではデマを積極的に拡散しようとする者と止めようとする者の攻防となりました。止めようとしたのが私たちでした。すぐさま反対意見を書き、扇動に冷や水を浴びせようとしたのです。その後、原発の事故が起きると収拾がつかない状況になりました。
当初は、特になにか思想的のある者たちが反原発へ向かったのではありませんでしたが、徐々に先鋭化した連中には、明らかに反日勢力の色が強まって行き、私たちは危機感を募らせていきます。
しかし、ある程度、世間が冷静さを取り戻し、そうした報道に関心を寄せなくなった頃、私のコラムも一旦お休みに入りました。当時はかなり長文で、引用した参考ソースを列記していたので、それなりに生活を犠牲にして、正直疲れていました。
今回、再稼働を決意したのは安保関連法案の反対にその影がアリアリと見えていたからです。これは無視できないと思いました。
私たちは保守ではないと繰り返し書いてきました。自分のアタマで考えて正しいと思うことをしているつもりだと。
これらの意見を書いているのは、子供たちに生きていける日本を残すための活動だと思っています。子供たちも同様に、自分たちの世代でやらなければならないことから目を背けず、粛々と取り組んで欲しいと思います。
話を戻します。デマから原発問題、安全保障、そして辺野古の基地問題。なぜこれらで左派の声に騙されるのか。
ひとつはメディアの問題で、ふたつめは教育の問題です。大新聞を中心に左寄りの報道をし、読者を錯覚させる。だから信じてしまう。多くの人は新聞の見出しとリードまでを読み、中身まで読まずに判断してしまいます。沖縄の新聞を見たら、どれほど見出しの大きさなどが我々に与える影響が大きいかわかりますよ。ネットで記事を読むのと印象がまるで異なります。
原発の問題や防衛の問題は、ある程度の知識が必要です。下知識がないと判断に困ることが多いので、左派にとってウソが通りやすい素地があります。そのウソを見抜くには知識を基に論理的に筋道の立った思考ができる必要があるでしょう。この分野は教育の問題です。
ウソを見抜けるだけの科学的知識や軍事知識があればよいわけではないということです。

昨日、友人と会っていたときに「反対の声ばかり見て錯覚する」ことを言ったら、その反対もあるぞと言っていました。その通りで、いまFacebookで保守系意見の人ばかりと多くつながっていると、それが多くの日本人の意見であるかのような逆の錯覚も生まれてしまう可能性があります。
例えばファンの多いKAZUYA Channel。You Tubeでもダントツで登録数の多いチャンネルで30万回再生なんか普通にあります。でも日本全体で30万って小さいですよ。大分市の人口より少ないんだから。
だから、それくらい関心のない人がたくさんいるということです。

山本太郎などという候補が当選してしまったのも、東京都民の多くが「どうせ自民圧勝でしょ」と関心を持たずに選挙に行かなかったからだと私は思いますけど。
優しさの反対は「無関心」だそうです。
教育の中あるいはメディアの中にはびこる個人主義は、無関心へ人を向かせるのではないかと思います。興味のない事はどうでもいいんだ、自分には関係ない、といい、その結果が都合が悪いと文句を言う。こういう図式が私には時折見えています。
責任は果たさず、権利だけ要求する、どこかでみた国々の人と同じ思考なのではないですかね。