原発廃止派と原発推進派の論争。
まぁ、ある程度仕方がない、というかこの事故の後に原発反対が大きな声を上げるだろうとは予想できた。
しかし、これらの論争は不毛だ。
何故かって?
簡単な話でお互いの立ち位置が対極にあるので、平行線のまま絶対接点を持たない論争だからだ。
宝くじを例にしてみるとジャンボ宝くじの当選確率は1000万分の1で1等が当選する確立。この確立は交通事故に遭う確立より低い。しかし、買う人は「買わなければ当たる権利はない」と主張し、買わない人は「その程度の確立では投資した金額を回収できる見込みはない」と主張する。どちらも尤もな意見と思う。
原発論争もそれに近いものを感じている。
ただ原発と宝くじでは電気という「恩恵」を受けている点で全く異なる性質の話だろう。要するに我々は宝くじがなくても生活できるが、電気がなければ生活できない。
いや、生活できないどころか経済も止まって生きて行けない。これは動かされざる事実である。

関東方面は福島第1原発が停止して不足する電力をどうやって補うか検討に入っている。いや深刻なのはその他の発電所も被災しているということだ。いくつかの火力発電所は再稼動を始めているが、まだ被害が大きくて復旧していない発電所がある。どうも福島原発の報道が大きく扱われるのでこのいう類の情報が少ないのは東北電力の状況と同じに思える。
特に宮城県は壊滅的と言って良いのではないだろうか。
実は先頃、東京電力が発表した夏場の発電量は果たしてそれを実現できるものか不安材料が残る数値でないかと思っている。上積みできた分で大口需要家と一般家庭の節電量数値を出したが、これは結構危ういのではないかな、と思っている。一般家庭の節電なんか、希望的観測であって正直「水物」だと思う。
しかし一方では反原発派が「原発停止運動」を行っているようだ。
「事故があってからでは遅い。今すぐ止めてくれ」
「もう原子力発電なんて恐いものはコリゴリだ」
「そんなものがあっては子供たちの未来がない」

本当にそうだろうか。
今、全国で原発を止めたら恐らく日本は立ち直れないに違いない。
原子力による発電割合は全国で23%程度だが、各電力会社の比率はかなり異なっている。節電で乗り越えられるのかは結構、各地で格差がある。
東京電力はほぼこの数字どおりでこの数字をクリアできれば原子力なしでも行ける。
東北は16%で結構「みんなでがんばれば行けるよね」と言えそう。
中国電力は8%で望みが高い。沖縄には原発がないから今までどおりで問題ない。
北海道とこの九州は原発がないとかなり難しい。電力の約40%を原子力に頼っているからだ。
関西電力は何と48%が原子力で半分程度を占める。四国も38%で多い。
これらの地方は現実問題、原子力発電がなければ電力は足りない。
関東の20%削減でもかなり大変なのに、4割削減は絶対的に不可能と考えるのが常識というもの。
これを「節電できる」と思うのは勝手だが、悪いけど本気でそう思っているなら余程おめでたい思考をしているんだろう。
何を根拠にそこまで節電できるんるんだか、少なくとも根拠を示して欲しいね。
希望的観測によって世間を混乱させるのは罪ではないか。
このような原発依存の高い地方で原発を止めて火力や水力でカバーした分でも電力不足となるのは必死だが、その場合どのようなシナリオが考えられるのだろうか。
電力の大口需要は産業界である。日本は製造の占める割合が大きいから、各工場の操業が下押しされるものと思われる。各業界での調整に入っているがピーク電力を予測するのは非常に困難と思われる。
或いは、九州の原発依存率41%を最初から織り込んで削減するとなると、かなりの収益削減を覚悟しなければならない。
当然、工場が操業できないので自主休業のような調整や余剰人員の整理が始まり、大規模な失業者の発生が出てくる。親会社の影響は子会社、孫会社にも影響し関連倒産が増加。
地域経済にも影響が現れ、地方財政から崩壊が始まる。
こうなると負の連鎖が止められなくなり、信じられない規模で経済崩壊する。当然、日本経済は停滞したままで莫大な費用の掛かる被災地は復興できない。
働く場所はいよいよ減少し、子供の世代も就職することさえ儘ならなくなる。

原発を止めてやって来るのはそんな「闇の世界」だ。
私たちは今の恐怖と不安から逃れる為に、子供たちに終焉の世界を残そうとしている。
経済破綻した日本は本当に終わりである。
反原発の論者が台頭する今、改めて冷静な判断をするべきである。産業界は着実な方法を選択することが復興への足掛かりとなり得よう。

私たちがもし原発反対を「明るい子供たちの未来に」という耳当りのいい言葉を使うのであれば、僕には全く逆に聞こえる。原発を止めて「悲惨な子供たちの将来のために」と言っているのと変わらないと思う。
理想論は否定しない。だけど、理想だけ振り翳して地に足の付いていない意見は「暴論」だ。
他方では“がんばれ、日本”といい、現実には“お終いにしよう、日本”と言っている活動家、どうか黙れ!

原子力は有限資源だから未来永劫これに頼れない。化石燃料も有限資源だ。オマケに地球温暖化の原因ともなる。だからリスクを承知で原子力に中繋ぎに出てもらったのではなかったか。

エコ、エコ騒いでいた、あの根拠はどこに行ったのだ。

CO2削減とはどこに消えたのか。

結局、地球に“良い事している気分の輩”のエゴではないか。

チェルノブイリの事故が起こって日本でも原発反対の運動が盛り上がったのは、僕がちょうどうちの長男と同じ中学生だった頃だ。僕の学生時代というのは反原発の嵐が吹き荒れていた。その前には原子力船「むつ」の放射線漏れ事故があって、世間が原子力に関心の高い時代に青春を過ごした。だけど高校生の時、原発を反対する彼等の意見には違和感を覚えた。
とにかく感情優先なのである。子供だった僕でも十分に理解できる危うい理論だった。電力会社や政府が危惧していたのは急激な電力需要の増加だったが、その時代は現実となった。そして地球温暖化の問題が提議されるようになる。
僕にとってプラカードを掲げ講義する彼等の姿から結局感動は得られなかった。あまりにも近視的な発想に辟易することはあっても「良い事をしているムード」の彼等を寧ろ軽蔑した。今も不足するエネルギーはまだ実現すら見通しの立たない燃料電池や発電量の少ない再生エネルギーでカバーできるとし、一方では万分の一レベルの原発事故を心配する。
幼稚な発想で我々の生活を脅かすのはもうやめてくれ。
何故、大きな問題を俯瞰的に考えられないのだろう。
何故、手を取り合って助け合わないのだろう。
これが今、漫然と心を支配しているイライラなのかも知れない。

僕もこの地球が平和で豊かに暮らせる星であって欲しいと思っているひとりだ。だから色んな資料や論文を予てから集めていた。子を持つ親として明るい未来を切望するひとりと思っていた。
しかし知れば知るほど今までの知識と違うギャップを感じた。片方ではエコと言い、片方ではこの国の年間電力需要は下がるどころか5%ペースで伸びている。景気だって伸びて欲しいと思っているだろう。
しかし、そのためには電気が必要だ。
だからこそ、割り切りも必要かと思うのだ。

今を耐えるのも未来へのステップと僕は思う。そう思わなければ耐えられない。
原子力は何れ他のエネルギーに取って代わられる存在であることは自明の理だ。しかし、その代替エネルギーが実用的なものになるのはまだ先である。太陽発電でさえ一般に普及するのはコストの壁が大きく立ちはだかる。
今すぐは無理でも、今回のことで新エネルギー開発は拍車が掛かると考えている。
だから、今の現実を耐えよう、と提言しているのだ。
目先のことができなくて遠い将来など見据えることなどできるはずもない。現実を見なさい。
私たち共通の問題は協力なしに解決できない現実なのだ。

次世代への問題は次世代が受け持つ問題とも思えるのだ。
あなたは子供に何と言うのだろう。
「次の世代が生き残れない世界を作ってしまった」なのか或いは「私たちは耐えて君達に望みを残したか」
阪神淡路も次世代へバトンタッチが必要な震災だった。今回の震災は更に複雑で色んな影響を及ぼすことは間違いない。そんな未来へ必要なのはお金とエネルギー、そして希望じゃないだろうか。
現に存在する原発と私たちは付き合っていかなくてはならない。これは紛れもない事実だ。
「恐いからなくして」というのは容易い。
しかし、それが現実になった世界は悲惨だ。もちろん電気の供給が目的(これは使命と言ってよいだろう)の電力会社がそのような愚考を犯すとは思えないが、世論というのは恐い。
あなたは子供に何を残せますか?

<注記>
この記事、凄く迷って書いた。で、結局最後の一言が自分の中の覚悟と気持ちだった。
この子達の将来のためにいい日本であって欲しい。そのための我慢はある程度仕方がない。そう思った。
この時期に原発容認の方向で書くのは相当なリスクがあると思ったが、しかしこれだけはハッキリしている。
原発なしでは生きて行けない現実。
私たちが本当に賢いのなら、新たなエネルギーの開発を行う研究もするだろうし、有限資源の枯渇するまで使うとは思えない。英知は使うべき場所を間違ってしまうと恐ろしい結果を招くのは原爆開発者だったんじゃないだろうか。