先日、中学の進路PTAがあった。
上の子はもう来春は高校の受験だ。今は体験入学の制度があるので、それらの学校の先生が学校の特色を説明してくれる。その中で興味のある学校を選択して、事前に雰囲気や授業の様子を知ることができる。
これは入ってから合わない、というミスマッチを防ぐ意味で有効だ。
これまでにも彼の将来就きたい職業や夢について話し合いをしてきたが、どうも歯切れが悪い。
「もう目の前なんだから、将来のことを考えなさい」
親の心、子知らず。
こっちはハラハラ、あちらは呑気。今まで勉強しなさい、ともあまり言わない親だけど、将来の目標があるのならそれに沿った勉強ができる学校に行かなきゃならない。
これが彼にとって人生で決断しなければならない1回目だろう。
人生において大なり小なり「決断」を迫られることは、極ありふれたことだ。職業の選択や人生の伴侶という大きな決定から、今晩のメニューに至るまで何かを考え決定しなければならない。

僕が彼と同じ頃、やはり同じように決定した。
だけど、それは今にして思うと、何といい加減な結論を出したことか。

当時の僕は、将来は絵で食いたい、と考えていた。
もう少し具体的に言うとグラフィックデザイナーのような職業や美術教師のようなもので、世間でいう絵描きではなかった。中学3年になって志望高校を提出したときに、親には相談をせずに緑ヶ丘高校と書いた。
進路PTAで三者面談のとき、担任が「緑ヶ丘を希望していますが」と切り出すと、母は血相を変え
「あんた絵描きで食えると思うんか」
親の言うことがわからない訳ではなかったが、別に絵描きになりたい訳でもなかった。学校を卒業したら東京へ行こうとそのときは考えていた。
しかし親にはなかなか理解してもらえなかった。
結局、2学期の終わり頃になって工業高校の建築科を志望することで親を納得させた。
だが別に建築家になりたかったのではなく、図面やパースも絵みたいなもんだろう、と随分いい加減な理由だった。親は現実的な学校を志望したことでよろこんだ。
目標のなかった僕は、全くやる気のない学生として高校へ進学した。
ル・コルビジェに出逢わなければ、そこに居場所はなかったかも知れない。少しだけまともな学生でいられたのは、建築にも美術の分野があるということを知ったからだ。
勉強は真面目にした。おかげで卒業設計賞も受賞したし、コンペにも入選した。でも心底好きだったのか、というとそれも疑問だ。3年の時、デザイン専門学校への進学を希望したくらいだから、そっちの道を諦めていたのではないだろう。
卒業して地元のインテリア会社の設計室に入社。ここでの経験がその後の人生に大きな影響を与えようとは、このときは知る由もない。
その後、紆余曲折を経て印刷業界に20年も籍を置くことになったが、会社人として最後は営業企画室の販促デザイナーという場所に辿り着いて終わった。

「一体、僕は何者だろう?」

未だに答えが見つからない。随分と遠回りな人生を歩んでいるような気がする。
我が子があの時と同じ場所に立っている。
「君はどこに行こうとしている?」
今でも僕が見つからないように、君も

「一体、僕は何者だろう?」

と思うのだろうか。